farver 渡辺 礼人 東京
生きてきた美容師の経験と出会えた社長への感謝
VOICEの香内斉が、自身と深く繋がりを持ち、尊敬する“人”にフォーカスを当てる「JOURNAL」。記念すべき第一弾は、中目黒にある花屋farverの渡辺礼人さん。前回は、渡辺さんが花屋でアルバイトとして働き始めた頃のことについてお話いただきました。第2回目の今回は、渡辺さんが影響を受けた方のことについてじっくりとお聞きします。(全4回)
text:Kaori TAKAYAMA(Magazine isn’t dead.) / photo:Isao NISHIYAMA
ゴトウフローリストでの日々と社長との出会いが今に繋がっている
今は代替わりしたのですが、社長が愉快な方だったんです。自分のイメージする社長像と違いすぎて、すごく好きでした。僕は元々可憐なお花が好きだったのですが、ゴトウでは大ぶりな華やかなお花が主になる。そういう花を束ねて僕でもかわいいと思う花束をつくってくれるのが社長だったんです。
当時はアメリカ、オランダ、スイス、フランス、日本のデザイナーが常駐していました。国と性別が違うと、つくるスタイルって変わるんです。それを間近で見られた経験は宝ですね。
美容師としての経験が生きていると思うのですが、“見て盗む”というか。教えてもらうのが当たり前じゃなくて、見て自分で考えることが大事。それが当時いた他のスタッフより長けていたのかもしれないですね。だから仕事ができるようになるスピードが早かったんですよ。そうすると重宝されていろんな現場に連れていってもらえて、仕事を見ることができる。
社長は地味な人なのですが、花を挿しているときはベートーベンのように迫力がありました。会ったことないですけどね(笑)。目が離せなかった。花って人がよく出るから、社長がつくったものはとにかくパワフルで。花がすごく生き生きしているんです。社長のスタイルがどんどん好きになったし、憧れの存在になっていきました。社長に出会えたということも、今も花屋を続けられている大きな要素の一つかもしれません。
小さくてさりげないことにこそ気づいてくれた社長は、大きな存在だった
僕はゴトウでしか働いたことがないので、仕事のベースとしてそこで培ったものは自分の中で大きいですね。当時はモヒカンだったのですが、社長から「やっぱりお前のことが問題になっている。お客様の前に出せないけど、どうする?」と言われて。見た目で判断されたことにイラっとしつつも、昔野球部だったから五厘刈りに抵抗がなくて、次の日にバリカンで五厘刈りにしていったら、「お前やる気あるな」って認められたんです。
急に、「この仕事やれる?やれるんだったらさせるけど、やれないんだったら僕やるからいいよ」と社長に言われたことがありました。そんなこと言われたら、やれますとしか言えないですよね(笑)。チャンスだとも思いました。でも、社長が確認して「全然ダメじゃん」って言われて、時間がないのに全取っ替えされたこともありました。悔しかったですね。
ある日、テーブル上の水槽に熱帯魚を浮かべて、色のついた砂を撒くというウエディング案件があったんです。今でこそ珍しくないですが、当時はそんなアバンギャルドなものはなかった。「カラーサンドの分量や撒き方はお前に任せる」と言われて、自分の中で渾身の出来になりました。カラーサンドのつながりで誰かが気づいてくれるかな、くらいの小さなハートをつくったんです。それに社長が気づいてくれて。そういう誰も気づかないようなところを社長はいつも見てくれる人でした。うれしかったですね。
突然の辞令から踏み出した一歩
そんな風に認めてくれることで仕事がどんどん楽しくなっていって、やりたいことも明確になっていきました。その矢先に異動の話がきたんです。それは明るい話ではなくて。何年か後に独立しようと考えていたのですが、辞令を断ることでお店を辞めなくてはいけないタイミングがいきなりきてしまいました。とりあえず他の花屋さんで働こうと思って履歴書をいくつか送ったのですが、全部落ちたんです。今思えば、そのお店の雰囲気に合わなかっただけだとわかるんですけどね。
30歳手前でまたフリーターか、と思っていたときに、中目黒で古民家カフェを運営していた方が、「ここで花屋をやれば?」と店の横の通路を紹介してくれて。その方は僕が美容師時代についていたスタイリストのお客さんでした。
気持ちの準備ができていないから驚いたのですが、やりたいヴィジョンはある程度できていたんです。自分が花屋になって思いのほか花を好きになって、それはもしかすると同世代の人たちが気づいていない魅力で、気づきのきっかけを与えられるお店をつくることができたら、その人たちを掴めて一緒に成長できるかもしれない。そんな拙いマーケティングがありました。これはチャンスかもしれない。通路なので、家賃が4万円くらいでした。ここでチャレンジしてもしダメだったら、それを糧にしたらいいかなと思えて。お客さんがゼロで、貯金も全くないという状態で見切り発進させました。それがfarverの始まりです。 (第3回へ続く)