HIROKO OTA 太田浩子 神奈川 / 埼玉
“好き”を続けたその先に。
VOICEの香内斉が、尊敬する“人”にフォーカスを当てる「JOURNAL」。7人目としてご登場いただくのは、陶作家の太田浩子さんです。独特の曲線を描き、まるで息づかいが聞こえてきそうな生命力を感じさせる造形物。小さなものは、河原に転がる石を思い起こさせる自然美を形成し、そっと日常に寄り添ってくれそう。「お客さんが大事そうに手に持ってくれるのが何よりうれしい」と話す太田さんに、“好き”を続けてたどり着いた現在地とこれまでのことをじっくりと伺いました。
text:Kaori TAKAYAMA(Magazine isn’t dead.)/ photo: Shoko HIRAOKA
「つくり続けたい」という純粋な気持ちから始まった活動
凛とした人――。我々を迎えてくれた彼女は、深々とお辞儀をしながら「わざわざ遠くまでありがとうございます」とまず声をかけてくれた。しゃんと伸びた背筋に白いシャツ、真っ直ぐにこちらを見つめる瞳が眩しい。
「まさか作家になるなんて思っていなくて」と笑う彼女、太田浩子さんが陶作家として本格的に活動を始めたのは2年前。美大を卒業後、一般企業に就職しながら自分の好きなものづくりを続けてきた。それは作家になるためではなく、「ただ続けたい」という純粋な気持ちからだ。次々と作品を生み出していく、その原動力はどこにあるのだろうか。取材を受けるのは初めてだと言う太田さんは、ひとつひとつの言葉を丁寧に選びながら紡ぎ出してくれた。
手を動かしてものづくりをした原体験は保育園だった。「ずーっとつくることが好きなんです。春先に砂場にお湯を張って服を着たまま入って遊ぶような変わった保育園に母が入れてくれて。先生のこともあだ名で呼んでいました。そこでの体験が自分の中で大きいですね」。小学校に入ると図工が大好きになった。
中学時代には姉の影響でバドミントンを始め、高校まで部活漬けの日々。芸術の道は考えたことすらなかったが、進路を決めるタイミングで転機が訪れる。「美術の先生が多摩美出身で日本画をやりながら非常勤で高校に来てくれていました。もともと理系に属していたんですけど、レポートを何千字と書く姉の姿を見ながら嫌だと思いつつも大学生になりたくて。すると母が、つくるのが好きなら美大に行ったら?と。そこで初めて美術の先生に話を聞いて、予備校に通い始めました」。
目的も覚悟もない。あったのは勢いだけだった
今も実家の一角で存在を放つ犬の作品は、予備校で制作した当時の愛犬をモチーフにしたものだ。先生の勧めで工芸科を目指して必死に学び、合格した多摩美術大学の工芸学科へ進学した。
大学では、1年次前期に金属・ガラス・陶を扱い、その後専攻を絞る。太田さんは直接手で触れられることに惹かれ、陶を選んだ。毎度テーマに沿った作品づくりに励む中で、「焼かないのでどんな厚みにしてもいい“100kg課題”では思考の限界を押し広げられたし、幅広い課題を通して技法よりも考えることを教わりました」と振り返る。
今のスタイルに通ずる作品は、3年生の頃に花器を意識したことから始まった。「中に何かが入っているような丸い形をつくっていました。コンセプトありきで制作していたのですが、だんだんとこんな形をつくりたいという形先行になっていきました」。卒業制作は担当教員より「内側からの力が見る者の身体に響いて心地良い」と高い評価を受けた。「その時の一番つくりたい形にたどり着いたんですよね。今も延長線上にあって、曲線や窪みを生んでいく作業が一番の幸せです」。
卒業後も制作を続けたい一心から、あくまでも趣味の範囲で市の施設に週に一度友人と通った。「先生から、続けるならまず環境を整えた方がいいと言われたことが頭の片隅にずっとあって、ついに窯を買うことにしました。親に借金をして、毎月少しずつ返済していって。目的も覚悟もなくて、勢いなんですよね」。その勢いが太田さんの道筋に光を与えた。実家を建て直すタイミングで両親が小屋を建ててくれ、アトリエが誕生したのだ。ただ、その時点でも作家として食べていこうという考えは1ミリもなかった。
曲線や窪みを生む作業が幸せ
女性の身体のようなしなやかさを感じる造形に、思わず触れたくなってしまう人もきっと多いだろう。実際に手に取ると、初めて持ったとは思えない手なじみを感じ驚いた。それはろくろではなく、手びねりでの制作だからこそだと思う。「削りを入れるのは道具で、線をつくって整えて曲線を決めていきます。焼きあがってからもっと落とせばよかったと思うこともありますし、ここをもっと極めていきたいです」。
自身の個展はVOICEが3度目だ。初めてオファーを受けたのは、京都のライフスタイルショップ、keiokairai。大学を卒業して2年後のことで、当時は会社に通いながら土日に制作をしていた。「keiokairaiさんが声をかけてくださったところから人のご縁で全部繋がっているんです。だからつくり続けることができています」と謙虚だが、初の個展を機に状況がめまぐるしく動くことになる。両親に借金の返済を終えたタイミングで思い切って会社を辞め、まずは制作の時間を確保。アルバイトをしながら制作したがその後結婚し、転居に伴い辞めた。2021年の5月には東京・江東区のtenで個展を開催。祐天寺のsteef、仙台のunumでも作品の取り扱いが始まり、お客さんからの反響を直接感じた。「tenでは、みなさんが買うと決めたものを手に包むように持ってきてくれて。steefさんでもみんなが大事そうに持ってきてくれるのが印象的だったと言われて、それをtenさんで見れたことが本当にうれしかったです」。
貪欲に、そして柔軟に
tenではスパイラル状の空間に作品を置いたことで、自身が内包されたような感覚を受けたという。「私がささやかな曲線を形づくることで、観る人が作品を通して体感するようなものをつくりたいんです。まだうまく言葉にできないんですけど。心地よさを感じるって何だろうと考えてみたりもしています」。考察を丹念に繰り返しながら、ずっと手を動かし続けている。
最近は制作中にポッドキャストを聴くようになり、「思考が動く感覚がした」という。特にハマっているというCOTEN RADIOから受けた影響も大きい。「今私が感じる当たり前は、時間や場所が変われば当たり前ではなくなるということを学びました。多様な捉え方を知って、もっと知りたい欲も出てきたし、学びを深めればつくる作品はきっと変わってくるなと思います」。真摯に自身と向き合いつつ、「もし、陶が求められなくなったり、もうやらなくていいかなと自分が思ったら固執せずにどこかでまた働かせてもらうのもいいかなと。生き方が柔軟になってきていることを感じます。だからいろんなところに行って、吸収したいですね」と目を輝かせながら話す。
アトリエのある実家のリビングの棚には、小学生の頃に初めてつくった愛らしい粘土作品が佇んでいる。それこそが太田さんの“好き”の源流だ。影響を受けた姉、要所要所で助言し導いてくれる母、展示の際は搬入部隊となってくれる父、そして、的確な言葉をいつも投げかけてくれるという夫。家族の支えほど、太田さんにとって心強いことはないのではないのだろうか。流れに乗りながら柔軟に変化を受け入れ進んでいく太田さんのこれからが、本当に楽しみだ。
HIROKO OTA exhibition
日程 : 2021年10月16日〜10月24日(10/19火曜は定休日)
場所 : VOICE (東京都渋谷区神宮前3-7-11)