farver 渡辺 礼人 東京

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紆余曲折の果てに気づいた大切なもの

VOICEの香内斉が、自身と深く繋がりを持ち、尊敬する“人”にフォーカスを当てる「JOURNAL」。記念すべき第一弾は、中目黒にある花屋farverの渡辺礼人さん。前回は、花屋でのアルバイトを経て、farverとして新たなスタートを切るまでのことについてお聞きしました。第3回目の今回は、お客さんも資金もゼロの中でどんな風にfarverを育てていったのかをお話いただきます。(全4回 )
text:Kaori TAKAYAMA(Magazine isn’t dead.)/ photo:Isao NISHIYAMA

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お客さんもゼロ、貯金もないし、家もない。何もかもゼロからの始まりの中で

 花は生ものだから売れなければ全部ダメになるんです。売上が立たないから、夜は居酒屋で働いていました。オープン前は治験バイトで入院もしましたね。今となってはいい社会経験です。
 お店の賃料は払っていたけど、家賃はずっと滞納していたので更新ができなくて。家を出なければいけなくなりどうしようと思ったのですが、お店として借りている通路以外にカフェの裏にある物置のような場所も借りていたんですよね。だからそこにベッドだけ持ち込んでずっと寝泊まりしていました。幸い、銭湯もランドリーも近くにあったので。
 香内さんはオープンして1週間くらいのときに偶然通りがかって、面白がってくれて花を注文してくれたんです。ありがたいですよね。その年の後半くらいから友達の助言でブログを始めて、ちょっとずつお客さんが増えていきました。
 今はドライフラワーを売るのは当たり前になったけど、当時は少なかったんです。減価償却ができるように、売れ残ったものをドライにしていました。売れたらトントンなので、なんとか食いつないで。ブログに、「今日お客さんからプレミアムモルツをいただいて超うれしかった」と書いたらみんな持ってきてくれたこともありました。貰いもの生活ができるって思っちゃいましたね(笑)。毎日犬の散歩で通るおじいちゃんとも仲良くなっていつも夜ごはんを奢ってもらって。今思うと、かわいがってもらえるというのは僕の武器ですね。すごく助けてもらいました。

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1周年、寝汗、震災。

 2011年3月9日に1周年を迎えるにあたって、何か形に残しながら安心できる材料がほしかったんです。知人のカフェを間借りして空間装飾をして、リアクションがよかったらこの先もやれるかもしれないと思って。ただ、そんなプレッシャーを自分にかけてしまったものだから、自律神経がおかしくなって。住所不定無職で、保険料も未払いで病院にも行けない(笑)。2月くらいから寝汗がすごくて一晩で5回着替えたり、イライラして思考がネガティブになったり。それが1ヶ月弱くらいずっと続いて、ある日鏡を見たら別人のようにひどくて、バンバンって自分の顔を平手打ちしたんです。すると、その日に好きなお客さんがいっぱい来てくれて、ずっと喋ってて、楽しくて。笑うことも大事だし、僕はお客さんに救われているなと思いました。そこから気持ちのスイッチが切り替わって、寝汗もピタッと止まったんです。
 1周年の当日は雪がちらついていたのですが、みなさん来てくれて。そこで僕の作品を見てくれた人が、後々いろんな仕事をくださっています。そこから気持ちが乗って、どんどん仕事も入ってくるようになりました。
 その2日後に東日本大震災があったんです。市場が機能していたので、お店はやり続けていました。そうするとぽつぽつお客さんが来てくれて。それは今回のコロナでも同じでしたね。駆け出しのときに震災という日本のターニングポイントを体感できたことは大きくて、今それが生きています。

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移転と結婚、そしてfarverの新しいスタートと紆余曲折

 そのくらいのタイミングかな、香内さんが働きたいと言ってくれて。お店以外での仕事が少しずつ増えてきたので、手伝ってもらっていました。2011年が終わる段階で軌道に乗ってきて、屋外のスペースだと手狭に感じるようにもなりました。と同時に、ようやく六畳一間に引っ越しもできて。それから今の物件が見つかって移転しました。そして結婚もしました。妻にも手伝ってもらいながらこの場所で新たにスタートしたんです。
 先の見通しが立つようになってきたので香内さんを正式に雇うことにして。その後、縁あって若ちゃん(duftの若井ちえみさん)をヘッドハンティングしました。そこからは寝られないくらい本当に忙しかった。
 2012年からの4年間は本当に順調でしたね。年収がどんどん上がっていく。サクセスストーリーです。夢がありますよね。でも、それと引き換えに大事なものを見失っちゃったのかなとは思っています。仕事やお金が入ってくるにつれて、僕はあまりお店に立たなくなってしまって。
 その後、若ちゃんと香内さんが独立していなくなり、スタッフの手綱が引けなくなってお店が空中分解してしまいました。気づいたときにはオープンしてからのお客さんが誰一人来ていないお店になっていたんです。対外的な仕事も、売上も減って。今だから笑えるけど、当時は子供の前でもすごい夫婦喧嘩をしていました。僕の武器だったものがなくなっていたのかもしれないですね。